日々の生活、毎日上演中。

日々の生活だって、ステージだと思えばちょっぴり素敵かも。そんな日々の日記。

旅立つ誰かへ送る言葉を探しながら。

2017年1月31日。
カルピスサワーを一杯煽っただけで私の意識は微睡みの中に落ちていく。

私、こんなにお酒弱かったんだ。
飲み会の席に呼ばれることが数少ないから毎回お酒の量を見誤る。
今日はお世話になった先輩方の異動を送る会。
そして斜め向かいの席の同僚のスマートホンで繋がっているのは今夜の便で日本を発つ、この間辞めたあの子。羽田からのリアルタイム。
今日は、いろんな人の別れが積み重なる日。

そしてもう一つ言えば、明日から私はバイトから昇格に。ほんの少し給料が、そしてたくさんたくさんお仕事が増えた。
多分、きっと、今までのフリーターの曖昧模糊とした自由な生活ともお別れだ。
それなりに覚悟も決めて、私はこの道を選んだ。多分数年は、この場所で頑張るのだ。

周りが別れを惜しむ酒に騒ぐ中、バッグの中にしまった辞令をひっそりと見つめて、私は、ぼんやりと考えた。


ああ、これからの日々は、私は見送る側になるのか、と。


バイトを退職したり、学校を卒業した時の上司や教授、先生の言葉を未だに覚えている。
どの言葉も暖かくて、優しい言葉たちだった。
未だに、落ち込んだ時に支えてくれるような、そんな優しい言葉たちを私は最後に頂いて来た。


私もいつか、あの日の皆様のように、美しい言葉と優しさで、誰かを新しい世界へと押し出してあげることができるでしょうか?


ずっと、そう考えて来た。
いつか私もあんな風に優しい言葉を紡いで誰かの背を押せるような人になりたいと、そう思ってきた。
でも、今日ようやく気づいた。

ああ、あの人たちは、たくさんの人を見送ってきたから見送り慣れていたんだ。

それは、決して適当だとかそういう話じゃない。どの言葉も本心からの暖かさを持っていた。ただ、多くの別れを見送ったからこそ、その想いを表現することが上手くなっていったんだろう。

そうして、私はこれからきっと、旅立つ人にかける言葉を覚えていく。

しばらく私は、見送る側になるのだから。
そうして行くうちに、いつか私も誰かの中で暖かい思い出として残るような、そんな言葉をかける日を迎えるんだろう。
世の中の流れとは、そういうものなのだから。

旅立つのはいつだって若者だ。
どこか老成しているような気がしていて、私にも気づけなかったけど、私にも若い部分がまだ残っていて、そして今日、それを失ったんだと気づく。
その曖昧模糊とした、自由とも呼べないような何かを失うことで、私は誰かを押し出す力を得るんだろう、きっと。


飲み会も終わり、23時の東京の冷えた空気が酔いを覚まして行く。
終電を逃すまいと、まるで高校生の時のようにビルの隙間を駆け抜ける中で私は想う。

まだまだ、別れの言葉に慣れていない私だけれども、今日の別れの中で、私は想いの全てを伝え切れただろうか?
大好きだったみんなに、感謝と励ましの言葉をうまく伝えられただろうか?

きっと、口下手なのも、照れ隠しもきっと何年もこれからも変わらなくて、何年も同じように悩むんだろうとはわかっている。
きっとそういうものが大人になるってことなんだろう。
胸の内でごちゃ混ぜになるいろんなものの上澄みを掬い取り、綺麗にスマートに見せて行く。
そういうことをこれからしていくのだ。
だって、それが大人なのだから。

今はまだ、何もかもが混ぜこぜで、言いたいこともたくさんありすぎてうまく伝えられたかわからないけど。
ただ、シンプルな二つの言葉だけが伝わっていればいいなと、そう思った。

お世話になった先輩方。
仲良くしてくれた、飛行機の中のあの人。
あと、ひっそりと息づいていた子供の私。

 

ありがとう。そして、いってらっしゃい。

 

2017年2月1日0時8分。
いつの間にか東京は日付が変わっていた。
この瞬間から名目上はあの先輩方も移動で、
きっとあの人は空の上。
私もバイトじゃなくなって、また一つ、大人になった。

いつのまにか、日付、変わっちゃったのか。


半蔵門線の車両の中で、私は少し、苦笑いをした。

だってそれはまるで、いつの間にか子供時代を失って、きちんと大人になっていく、私の様子そのもののようだったから。

日々の生活を大切に。

星野源のエッセイ集を読んでいる。
まさか読んで十数分で、「たはー!」と言いたくなるとは思わなかった。え?例えがわかりにくい?これまた、たはー。


まあ、いわゆる、痛いとこつかれたな、といった類の感嘆の意なのだけれどもまあ、それはひとまずさておき。

 

星野源は日々の生活から逃避するように演劇やアニメに浸り、そしてその道を志すようになった。が、その道を歩めども、逃避の場が仕事に変わっただけで、家に帰りひとりになれば、子供の頃にアニメを見終えた時と同じように、ただただ虚無感に襲われていたのだとか。そうしてその虚無感から逃げるように仕事に打ち込み、仕事にどっぷり浸かっていたある日、星野源は倒れてしまう。診断結果は過労。入院することとなり、あまりの身体の痛みに心細くなった彼は母親を病室に呼ぶ。
そうして母親が過労で倒れたと知った時の言葉がなかなかに身に染みる。

 

「掃除とか洗濯とかそういう毎日の地味な生活を大事にしないでしょあんた。だからそういうことになるの」

 

たはー!!!!


もう全く同じです。ここ数ヶ月仕事が楽しすぎて生活が蔑ろな私は後ろからナイフで刺されたような気になった。いや、仕事してなくても日々の生活蔑ろなんですけど。


生活から逃げるように仕事に打ち込む、という言葉が今の私にしっくりと、来てしまった。

どうもこの本とは巡り合わせがあるようである。この話の前の章では携帯料金未払いの話をしていたのだが、最近私も、うっかり年金で数ヶ月未払いになっていた分を整理して来たところである。支払いを終えると何か憑き物が落ちたのか、部屋の掃除をするようになった。


私も、日々の生活を見直し始めた矢先である。


そうして昨日はIKEAなぞに足を運び、素敵な家具で日々の生活をそれ、彩ってやろうかな、なぞと考えてみたものの、ショールームの中で私の手は止まってしまった。


あれ…?私の部屋って…何置いてるっけ…?
そう、部屋の色んなものを適当にして来た結果、日々の生活を蔑ろにした結果がこれである。
日々の生活の舞台である自分の部屋のインテリアがわからないのである。
ええと…確かベッド周辺はカフェ風インテリアに憧れて茶色と紺でまとめてたな…カーテンもそれに合わせて茶色…あ、でも待て待て、デスク周辺は白い足に明るめの木目が素敵なIKEAデスクだ、そーだ私あの時IKEAの開放的な雰囲気に触発されて部屋をGoogle風にする!とかって言ってたような。え?カフェ風ではなくない?無理じゃね?

 

インテリアも適当って、私、どれだけ日々を適当に生活して来たの?

 

 

たはー!!!

 

 

IKEAで私のたはーが炸裂した。
もちろん口にすることはなくとも心の中はたはーで染められてしまった。
まさかIKEAの家具たちに痛いところを突かれるとは。
私、今までどれだけ日々の生活を蔑ろにしてたんだろう?
やたらと洒落た名前がつけられたシングルチェア、"POÄNG"に体を委ねながら私は後悔をした。
緩やかにしなるチェアフレームが、まるで私を許してくれるかのように柔らかく私を包んでくれていた。

 

 

そんなわけで私は今、片付けに勤しんでいる。
とりあえず、IKEAでは前から欲しかったデスクライトを買った。これはもう本当に、欲しかっただけあって部屋ともマッチしている。
ただ、ベッド横につけようと思って買ったワークライトは想像以上に大きくて、今私の部屋は手術室の趣を醸し出し始めている。明日にでもブラックジャックがここでオペを始めそうである。


私の生活は、どこへ向かうんだろう?
それはわからないけど、でも今年は、いや今年こそは。
きちんと毎日を生きていきたいな、なんて。
そんな風に思ってます。

いまさら翼と言われても。読了。

「いまさら翼と言われても」読了。
古典部シリーズは「ふたりの距離の概算」から久しく読んでいなかったからとても懐かしく読めた。
そして、今までのどの作品よりも読後感が苦く重い。
もちろんそこが美味しくて、良いところなのだけど。

同じ青春ミステリのハルチカシリーズはやたらと明るく、なにか憂鬱な要素が描かれるとしても外的要因に留まってることが多かった。
つまるところ、主人公たちの性格や行動はどこまでも前向きで、それがその爽やかな読後感に繋がっているように思う。

けど、こっちの古典部シリーズはどこまでも主人公たちは迷い惑うのである。
ミステリとして提出される謎はあれどもそれを解いたとしてもどこかに後ろ髪引かれるような惑いがある。
その迷う姿がどこか昔の私と被ったりする。
物語の主人公たちはなにか確固たるもの、自分というものを持っていて、それを軸に行動を起こすから惑いがない。
その惑いの無さに憧れていた頃の自分が、この古典部シリーズの片隅にいるような気がする。
主人公たちの悩む姿に、どこか昔の私を重ねてしまう。

ハルチカシリーズと古典部シリーズは実は一つ真相がほぼ同じの話が過去作にある。ただその描き方は大きく違うからこそ、読み比べてみると面白いんじゃないだろうか。

今回読んだ「いまさら翼と言われても」は短編集である。
この中の短編では「長い休日」「いまさら翼と言われても」の二編が特に気に入っている。
主人公の奉太郎、そしてえるのアイデンティティに関わる話であり、そこの揺らぎに対する二人の反応のほろ苦さがどうにも息苦しくもあり、愛おしくもある。
長い休日は、どこか自分と重なるものを見てしまう。
いまさら翼と言われても、はシリーズ随一の苦さがある。シリーズを追った人ならどこまでも、読後の苦さが残り続けるだろう。

久々に、古典部のみんなに会えて嬉しかった。
とっても好きな作品なのでぜひ、古典部シリーズ、読んでくださいね。